2012年4月23日月曜日

『*[久生十蘭]』の検索結果 - たむ読書&映画&音楽日記


 この巻はすべて三一版全集未収録作。戦争ものが多い。
 

「爆風」(1944.4)★★★★☆
 ――けふの月齢は三・四で、満月は十三日とあるから、あと四、五日はまづよし、とすばやく計算した。東京の空襲はあればいつごろか、さういう公算があるのかないのか。南西方面の島々では空襲は月の視運動とほとんど一致してゐた。

 爆撃されるかどうか、という状況なのに、ひどくのどか。空を飛び回って自分たちを狙っている敵機を、小鳥がうまく餌を取れるかどうかでも眺めているように眺めています。客観的というか他人事というか、小説家の視点で現実を再構成したような、十蘭独特の作品でした。
 

「第○特攻隊」(1944.6)★★★☆☆
 ――「出発を×日としますと準備だけで既に一日不足し、積込に要する日数はどう計算してもどこからも出て来ません」小関は、うむと頷いてから、「その出来ないことをやつてのけるのが戦争といふものだ」

 これは比較的戦記ものらしい戦記もの。
 

「海図」(1944.7)★★★★☆
 ――戦争といふものは苦い味のものとばかし思はれ勝ちですが実はさういふことばかりではないのでして、殊に爆撃がすんで敵機が去つて行つたあとのおだやかさは、たうてい味ふことの出来ぬ和やかなもので……

 という調子で語られる、個性的な面々による戦場の記録。見る海図を間違えてアメリカ軍基地のど真ん中に出たうえに、ついでに一機かっぱらってやろうというハチャメチャな作品です。

『内地へよろしく』(1944.7〜12)★★★☆☆
 ――S少佐が三十郎に、山吉船長を紹介した。傍の二人は、カムローとどん助と名乗つた。三十郎はかれらとともに報道班員として敵の防禦圏内まで突つ込むのだ。

 「海図」の面々が再登場。というわけで案の定案の如く、あたりまえの戦記ものになるはずもなく、食糧の卵を孵して鶏にしたとかいう話が冒頭から語られ、途中からは女性も出てきて見合の話になったり、一癖も二癖もある長篇です。
 

「白妙」(1944.8)★★★★☆
 ――梶木大尉が声をかけた。「仏蘭西語で『海』はmerですな。それから、『母』はmèreでせう……ところで、日本語の『海』の中にも、ちやんと『母』が一人ゐる。」杉少佐が自働衝器から降りてきた。「梶木大尉、輸送機が飛ぶか飛ばんかまだわからんといふのに、内地の風を吹かせるのはまだ早すぎるぞ。」

 帰国の途につく飛行機で語られる世間話から、やがて一つの白妙を通して今さらながら悟らされる戦争の覚悟と母の思い。
 

「効用」(1944.8)★★★☆☆
 ――「三十二号機が、俘虜をつかまへて帰つてきます」「飛行機で、どうして俘虜なぞ……」二十二、三歳ぐらゐの奴で、年齢は四十九歳だなどと出任せをいつてゐる。特警に輸送するまで椰子林に囲つておいた。

 どうということのない話ではあるのですが、初めに「実は効用があってね……」とネタを蒔いておいて、最後にちゃんと落とすところに落とした落とし咄です。
 


パブストは古いスタイルのレシピを変えた

「最後の一人―『米国近代史』より」(1944.9〜1945.1)★★★★★
 ――ここに記述するのは、明治卅九年に渡米した和歌山県那賀郡紀ノ上村、県農事技師、渋上松雄を代表とする五家族四十一人が米国及び米国人によつて前後三代に亘つて徹底的な迫害を受け、最後の一人まで殲滅されつくす、即物的現代史である。

 著者生前の単行本に未収録だったため、『紀ノ上一族』本篇とは離れて収録された続篇です。実際に読んでみると、別々に収録されたのは正解だったかも。一つには、本篇とくっつけてしまうと、「前回までのあらすじ」部分が重複してしまう点。それに、文章も記録ものふうでだいぶ違っています。続篇だと知らずに読んだので、報告書のように始まった文章の途中に「紀ノ上村」の文字を見つけたときは、本当の歴史記録を読んでいるような気持になって、どきっとしました。そもそも『紀ノ上』本篇で強烈な印象を残した子どもたちは、すでに死んでしまっているわけで、作品のトーン自体がまるで違いました。理不尽な迫害のなかでそれでも生きてゆく泥臭い本篇に対して、続篇の方は秘密結社と戦う最後の忍者みたいな雰� ��気を漂わせていて、これはこれで大好きなのですが、ほとんど別の作品のような印象を受けました。
 

「要務飛行」(1944.10〜1945.3)★★★★★
 ――雲の向ふに月でもあるのか、黄昏とも夜明けともつかぬ薄蒼い色が夢幻のやうにたゞよつてゐる。道路の上には一人の人影もなく、おれの靴音だけが高く響いた。おれは自分の靴音を久し振りでしみ\/゛と聞くと思ひ、人影のない視界の美しさにいよ\/眼も冴えわたるばかりであつた。

 ジャンルとしては戦記物ということになるのでしょうが、文章がきりりとひきしまった気合いの入った十蘭節です。↑上に引用した章からしばらく「音」で場面をつないでゆく場面などもあり、凝ってます。航空隊の工場長と、その弟と同年配の少年兵との、心の交流(とまでは行きませんが)。過酷で即物的な戦争や軍人たちの機転に混じって、時折り顔を覗かせるロマンチストな一面がダンディ。ものすごく中途半端な場面で未完のまま終わっているのが残念。
 

「少年」(1944.11)★★★☆☆
 ――「掌工作長、この寝台に寝てゐられた川口兵曹長は、一昨日、前線基地で戦死されました」これが、かれがおれに口をきいた最初の挨拶であつた。ふと、郷里の高等科二年に通学してゐるおれの長男が、そこに立つてゐるやうな錯覚を起して思はずどきりとした。

 「要務飛行」をコンパクトにまとめたような作品。「要務飛行」で中途半端に終わっていた松永二整のその後は、おそらくこうなる予定だったのでしょう。「要務飛行」と比べて短いうえに、少年と似ているのが語り手の「弟」から「息子」に変わっている分、語り手と少年の結びつきばかりが直截的に目立った作品になってしまっています。
 

「新残酷物語」(1944.11)★★★★☆
 ――大陸横断鉄道の敷設工事に従事した支那人労働者にたいする亜米利加人の虐逆は有名な話題で、事実の残酷悲惨なること眼を蔽はしめるものがあり、われわれ幼少年を戦慄衝動させたものであつた。


ラムチョップは何ですか?

 その名に違わぬ残酷さ。はからずも巻き込まれてしまった日本人も登場するのですが、ほとんどその日本人視点ではなく、三人称の淡々とした残虐描写に近い語り口のために、小説というよりただただひどい記録を読まされているようで辛かった。
 

「猟人日記」(1944.12)★★★★☆
 ――我々は真珠貝の採集に従事してゐた。優秀な貝床がすぐ眼の前で日本人に荒されるのを指を咥へて見てゐるほかはなかつた。有色人種を鞭の制圧下に置くことは我々白人種に委ねられた崇高な義務なのだ。

 同じ残酷でも、これは打って変わってユーモア――といってもブラック・ユーモア漂う作品でした。日本人を騙すアメリカ人の視点で描かれていて、裏で日本人を平気で殺しまくっているのに日本人の方はそれに気づかずむしろ取り入っちゃってる駄目さ加減に、痙きつるような痛々しさを感じます。
 

「弔辞」(1945.1)★★★★☆
 ――コレハ、私ガアナタノタメニ読ム弔辞デス。副長ガイハレマシタ。オ前ハ大木通訳ヲ濠州マデ送ツテ行ツタ。オ前ハ通訳ノ骨ヲ持ツテ六百哩ノ海ヲ刳舟デ帰ツテキタ。タレヨリモオ前ガ弔辞ヲ読ムホーガヨイ。

 インドネシア人が慕っていた大木通訳の霊に向けて読んだ(内心の)弔辞という設定の作品。「シラウ」って「四郎」のことかと、解題を読むまで気づかなかった。後半は漂流譚になっていて、二人きりの刳舟で鱶やら病や怪我やら盛り上がったあとの、「サムナー」法にしたがって漂う静謐な光景が印象的でした。
 

「雪」(1945.3)★★★☆☆
 ――その文隊には、雪国から来た兵隊ばかりが集つてゐた。なににしても雪の好きな兵隊ばかりだつた。陣地で汗びたしになりながら、暇さへあれば雪の話ばかりしてゐた。神もこの兵達をあはれんだのであらう、この上もない方法で摂理をあらはした。

 雪月花の掌篇三部作(?)のうちの一篇。雪の降らない南国にどんな奇跡が起こったのか――というところの小道具も戦争中ならではのものが使われていました。

『祖父っちゃん』(1945.4〜8)★★★☆☆
 ――お祖父さんは若い頃、ひたすら国を思ふ熱情にあふれてゐた。生涯を捧げて悔いない仕事は海運業以外にない、と思ひ定め帰朝すると、日本郵船に入社したが、間もなく海運業も政治の中毒を受けはじめたので嫌気がさしてやめ、日東海運株式会社を創立して、自分がその社長になった。

 少女小説『キャラコさん』「だいこん」や『女性の力』に出てくる元気印の女の子たちとは違う、大人びた(実際大人の)孫娘が新鮮でした(ちらほらおきゃんな部分も顔を出してきますが……)。祖父ちゃんの性格は↑上に引用したような人です。十蘭というより向田邦子(?)とか小津安二郎(?)とかそんな感じでした。それにしても未完が多い。
 

「母の手紙」(1945.5)★★★☆☆
 ――第一信。山瀬忠作様。アプトン・キャンプにて 千鶴子。只今、メリーランド州のアプトン・キャンプに収容されてをります。主人とも引き離され、女子供ばかり六十二名、エリス島の拘禁所からこゝへ移されました。


酢漬けニシンは、何年に考案されました

 これもアメリカが舞台のある種の日本人残酷物語。母が日本に残っているのではなくアメリカの地に囚われている母からの手紙という点が異色でした。
 

「花」(1945.6)★★★★☆
 ――半年ばかりたつたある朝、仲間の一人が戦死した。兵達は遺骨を乾麺麭の箱にをさめ、石灰窟の奥に安置した。「おい、なにか花がないのか」花――みなそこで愕然とした。一年半の間、一つの花も見ずに暮して来たことを思ひだした。

 雪月花三部作の二作目。花を求めて花を手に入れる――三部作のなかで一番ストレートな分だけ一番胸を打ちます。翻していうと、南国で雪は手に入れようがないし、月を手にすることなどはなから不可能であるのに対し、なまじ花なら手に入るだけに、何としてでも手に入れようとするところに胸を打たれるのでしょう。
 

「月」(1945.7)★★★☆☆
 ――どの兵もたいてい器用で、戦争の暇々にさまざまな細工物をして楽しんでゐた。中でたつた一人、なにもしないでぼんやりしてゐる兵がゐた。「お前はなにもやらんのか」「はあ、わしはどうも無器用で」

 雪月花三部作の最後の一作。これはちょっとこじつけた感があります。というのも、世界中のどこに行こうと月は見られるので――。雪のない南方で雪を、花のない石灰窟で花を、というのと同じようなわけにはいきません。それだけに凝っているともいえますが。
 

「橋の上」(1945.10)★★★☆☆
 ――発電所デ働イテヰラレタ半島ノ方々ガ、朝鮮国民トシテ一斉ニ故国ニ復帰サレルコトニナリマシタ。ところが部落の呉という青年がやつて来て、妹がバンゲの九市を好きになつて、どうしても朝鮮へ帰るといはないから、どうにかして欲しいと頼みにきた。

 終戦後の韓国人と日本人のほんのりとした心の交流。
 

「その後」(1946.1)★★★★☆
 ――終戦の夜、海江田はめちやめちやに暴れまくつた。ケンバスの覆布に力まかせに叩きつけると、ケンバスの下で、きやツといふ声がした。おどろいて覆布をめくつてみると、今井一整が白眼を出してのびてゐた。三日ほどすると整備兵たちが、今井のやうすがへんだといひだした。

 十蘭得意のユーモアあふれる狂気が描かれています。しかも実はどうやら総がかりで海江田を図っていたらしく、敗戦や狂気を明るいユーモアに転じてしまえる前向きな心の持ちようがすがすがしい。
 

「南部の鼻曲がり」(1946.2)★★★★☆
 ――第二世の日系米人には、袖に縋つても日本のはうにひきとめておきたいやうなのがある。モオリー下戸米秀吉もその一人だつた。はじめて逢つたのは、罐詰工場へ契約の鮭殺しを運んで行く最下船だつた。それが絶対なるShe-boyなんだから人目をひいた。

 語りの途中に聞き手の合いの手が入るので、その場で話を聞いているような臨場感がありました。日本人でもありアメリカ人でもあり、日本人でもなくアメリカ人でもない、戦争中の日系米人との腐れ縁。
 


『皇帝修次郎三世』(1946.2〜12)★★★★★
 ――瓜生修次郎にたいする信じるに足る資料は二つだけである。「マリーニキ修の思ひ出」「皇帝の手記」。マリーニキ修、瓜生修次郎(亡年二十六歳)は狡智に長けた一種の悪漢であつたが、告白記ともいふべき「皇帝の手記」の記述は、あくまでも単純と明るさにみち、且つフランス風ともいふべき文雅の味はひすら感じることが出来る。

 太平洋戦争も終わり、久しぶりに戦記ものではない作品の登場です。なのにこの作品も未完です、もったいない。カムチャツカで起こった教会火事……果たして殺人なのか? 現地の日本人マリーニキ修が犯人なのか?……というところで舞台は過去へ。ロマノフ家やラスプーチンをも巻き込んだ一大陰謀の背景が明らかになってゆきます。
 

「村芝居」(1946.4)★★★☆☆
 ――「大石さん、村に進駐軍が来ます。貨物にですね、合衆国のマークが刷りこんであるのです」助役は昂奮して、大石を貨車の中へ連れこんだ。いかにも西洋くさい貨物で、U・A・Sと横腹に大きく刷りこんである。

 どうってことのない話にも思えるのだけれど、解題によると、この後の数篇は、いかにして検閲に引っかからないようにしたかという工夫の産物であるらしい。
 

「幸福物語」(1946.5)★★★☆☆
 ――光太郎はいづれ空襲警報になるものと、早手廻しに鉄兜をかぶつて縁側で待機してゐると、塀の向ふでテニスがはじまつた。とつぜん飛びこんできたボールが鉄兜にあたつてころげて行つた。

 頭の弱いお隣のお嬢さんとその婚約者に振り回される日々。
 

「花合せ」(1946.5)★★★☆☆
 ――福井の家の前を通る人は、かならず、「いよう、えらい花だな」と、おどろいたやうな声をだす。暑い縁にあぐらをかいていると、陸軍少佐がいきなり庭先に入つてきて、「お隣へ越して来た菅です」と挨拶した。それで帰るのかと思つたら、「これは見事ですな」と縁にかけて庭を眺めだした。

 庭に花を植えることすら時流に逆らうことになりかねなかった時代に、視線の先では花を眺めながら花のことではない話をしています。
 

「狸がくれた牛酪《バター》」(1946.7)★★★☆☆
 ――「あツ、狸だ」信一がいつた。「ルダンさん、日本の狸はね、食べものをやるとお礼になにか持つてきて恩がへしをするんです」

 可愛らしい小品です。
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